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畠山 重忠公終焉の地碑 [Weblog]

今年から大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放映されているらしいです。
主人公は、北条義時です。
それで、思い出したのが畠山重忠公の碑です。

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畠山重忠は当初、源頼朝石橋山の戦いでは平氏側で
戦っています。
これは、この当時平氏の世の中なので世の殆どの武士は平氏側、源氏側についている方が
珍しい状態です。豊臣秀吉が天下を握るとそれに従い、徳川家康が天下を握ると今度は徳川側に
従うのが当時の大名なのでそれと同じ事ですね。
その後、頼朝が房総から大軍を率いて鎌倉を目指すと、頼朝に臣従を誓います。
畠山重忠は武勇の誉れが高く、清廉潔白な人物として坂東武士の鑑と呼ばれていたそうです。
しかし、北条氏の謀略にはまり、謀反の嫌疑を掛けられて討たれてしまいます。
これは、頼朝の死後、幕府の権力を掌握しようとした北条氏の有力御家人排除の一連の
行動の中で起きた事件です。
切っ掛けは畠山重忠の嫡男・重保が北条時政の後妻・牧の方の女婿である平賀朝雅
と口論になった事です。
その後、畠山重保は罠に掛けられ討ち取られ、次に重忠に嫌疑が掛けられます。
鎌倉へ出頭するように命じられ、丁度二俣川付近で、北条勢と対峙します。
そこで初めて、重保が討ち取られ自分に謀反の嫌疑が掛けられている事を知ります。
北条勢は、北条義時が大将で約1万騎、一方畠山勢は130~140騎程度だったと
伝えられています。
この碑は丁度国道16号線から厚木街道へ入った直ぐの交差点にあります。
車ですと、丁度反対側なので余程注意していないと見過ごします。
そして、この交差点を過ぎて100~150m程の所に消防署がありますが
その脇の小道を入ると、区役所の駐車場に入ります。
区役所と消防署は隣接しています。
区役所の駐車場近くに、碑と首塚があるようです。
また、ここから約2km位でしょうか、万騎が原という地名がありますが
これは、北条勢1万騎が陣を張った所から万騎が原と名付けられた様です。
鎌倉殿の13人の主人公は北条義時なので
この場面も放映されるのではないかと思っています。
吾妻鏡には、討ち取られた首をみて涙を流したとあるらしいですが
どうかな?と思います。
本当のところは、頼朝亡き後実権を握るために有力御家人を排除している訳ですが
畠山重忠はこの当時、武蔵国の武士団棟梁の位置にいます。
そこで、北条氏は支配を盤石にするため、相模国と武蔵国を手に入れたい訳で
そうすると、畠山氏が邪魔になる訳です。
そこで、難癖を付けて排除にかかったわけです。更に、北条氏内部でも
時政・牧の方と義時・政子で勢力争いがあり、義時にすれば武蔵国を手に入れ
更に、牧の方を排除出来る訳なので一挙両得です。
それを証拠に、涙を流したという割に
その後畠山重忠の遺児に対して何もしないし領地は自分の物としています。
虎の威を借りた狐というか白蟻のの様です。
しかし、後継者も育てる事が出来ず自分の体制も盤石に出来なかった
頼朝もあまり評価は出来ません。
まあ、自分も系統は全く異なりますが一応源氏の血は引いているので
その辺は厳しくなっているかも知れません。


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